伊賀忍者は本能寺の変の際に、堺(現・大阪府堺市)の見物に訪れていた徳川家康を護衛して伊賀越えを行なったことから、徳川幕府に召抱えられるようになった。中でも服部半蔵は重用され、江戸城の城門の一つにその名が付けられ、現在も東京の地名「半蔵門」として残っている。彼らは、徳川幕府のために諸大名の内情を探るだけでなく、江戸城下の世論調査、大奥の警護、空き家となった諸屋敷の管理なども担当し、同心として江戸城下の治安の警護に当たった。御庭番は忍者と同様に思われがちだが、誤りであり八代将軍・徳川吉宗が紀州から連れて来た薬込役を伊賀者と同格に格付けしただけに過ぎず、彼ら御庭番は忍者とはかかわりがない(詳しくは御庭番の項を参照されたい)。
徳川家光(家光体制)時、老中(松平伊豆守・阿部忠秋・堀田正盛)、側衆(中根正盛)は、武断政策を強行に進めた。その結果、浪人が増え社会問題化し、島原の乱・慶安事件(由井正雪)といった大規模な事件(一揆)が発生する。 島原の乱・慶安事件の際に大目付として中根正盛が与力20余騎を諸方に派遣して、その動きを詳細に調べさせた。 また、島原の乱の際には、甲賀忍者の一隊が一揆軍の立てこもった原城内に潜入し、一揆軍の兵糧が残り少ないことを確認したという記録が残っている。
桓武平氏の流れを汲む中根氏と服部氏は縁戚関係であり、中根は長安事件に連座して失脚した服部正重(4代目服部半蔵)の叔父にあたる。このことから、中根は忍者だという説がうまれた。
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江戸時代の諸国を行脚していた俳諧師・松尾芭蕉は、現在の三重県伊賀市に当たる地方の出身者だった。そのため、松尾芭蕉は実は忍者あるいは隠密だったのではないかとする説があり、小説などでも題材に扱われている。その根拠として、芭蕉の著書奥の細道の記録どおりに旅行したとすると、一日数十キロ歩かなくてはいけない計算になり、普通の47歳ならば体力的に相当無理がある、などがあげられる。当時の江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎も公儀隠密説が囁かれている。これらの説には決定的な根拠はなく、現状では単なる想像の範疇を出ない。
江戸時代の探検家・間宮林蔵は、幕府の隠密であり、広義には彼も忍者だと言える。少なくともシーボルト事件において高橋景保を売ったという彼の行動は儒教道徳的観点から非難され、冷酷な忍者ならではの行動であると評された。
マシュー・ペリーの率いる黒船が浦賀沖に来航した際、幕府の隠密が早速調査のために行動しており、これがいわゆる忍者の活動の最後だった。